番犬ではないあなたと (中編)

番犬ではないあなたと (中編)

 


*現実の方々とは無関係のフィクションの世界です。

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「待ってよ…ううぅ…結衣、ほっぺた痛いよぉ…」

 

 新垣に平手打ちされた頬に触れ、叩かれた痛みと共に、突き放すような言葉を新垣から初めてぶつけられたことへの悲しみが頬の痛みを倍にしているような気がした。

 わたしは新垣を追い掛けることはせず、食品経営企画部へと向かう階段を降りて行った。

 透明なガラス窓からチラッと中を覗くと、忙しなく業務に従事する社員の方達が見える。

 この部署は会社の中でも一、二を争うくらい忙しいことで有名だと聞いているからか、繁忙期に当たる年末年始に近づくと立ち寄ることすら躊躇いを感じてしまうのだった。

 

「おはようございます戸田さん、うちの部署に何かご用事ですか?」

「わっ!?お、おはようございます…って、な〜んだ波瑠ちゃんか!」

「な〜んだ波瑠ちゃんか!は、ちょっと酷くないですか?まあいいですけど」

「ごめんごめん。あのさ、上の人だと誰でも構わないから、数分程お話させてもらえるようにお願いできるかな?」

「今日は部長も次長も出社前から外回りに出ているんですよね…課長は在席してますが、大丈夫ですか?」

「うん、すぐ終わるからよろしくお願いします」

 

 分かりました、中へどうぞと波瑠ちゃんに続いてオフィスの中へと入っていった。

 外から見ただけでも忙しなく感じていたのに、中はピリピリとしたムードが漂っていて、電話を受けたり掛けたりが断続的に続いている様子に面食らってしまった。

 

「毎年この季節はこんな状況がこの部署だと当たり前の光景なんですよ。夜食にカップラーメンを食べる時間が至福だと言えばよくわかってもらえると思います」

「ごめん、波瑠ちゃんも忙しいのに、わたしに構わず仕事に戻っていいよ」

「いえいえお構いなく、急いで課長を呼んで来ますね」

 

 波瑠ちゃんはわたしをその場に残してすぐに課長を連れて戻ってきた。

 課長の顔を見て、わたしは驚きの声がポロッと出てしまった。

「わっ、マジっすか!?」

 わたしが上げた声にピリピリとした空気が一瞬和んだみたいで、クスクスッと笑う声が所々から聞こえてきた。

 

「相変わらずのムードメーカーなんだね、戸田さん」

「温水さんやないですか!いつの間に異動してたんですか?」

「や~天海さんからここの人員が足りないから数人連れてヘルプへ行くようにって二ヵ月くらい前から来てみたら、いつの間にか課長になってたんだ」

「そうでしたか、次は目指せ部長ですねー!あっこれクリスマスパーティーの案内チラシをお持ちしたので、依頼関係は昨年と同様なので温水さんから上の方にご説明をしてもらってもいいですか?」

「オッケー、任せといて。天海さんにもよろしく伝えといてくれる~?」

「はい、バッチリとお伝えします。それでは忙しい中お騒がせして失礼しました」

 

 一礼と挨拶をして急いで退出した。

 赤くなっている頬はずっと隠していたから誰にもバレていないとタカを括っていたのに、背後の扉からわたしの後を追ってよく見知った人物がオフィスから出て来るのだった。

 

「恵梨香さん、大丈夫?その頬、早く冷やした方がいいですよ」

「あちゃー美月ちゃんにはバレてたんか、めっちゃ恥ずかしいわー」

「ずっと頬を隠しているので観察していたらドンピシャやないですか、綺麗な顔立ちが台無しですよ」

「ニシシッ、言ってくれんね~さすがご近所の出身者だけあるわ」

 

 彼女の入社後に社内の交流イベントで顔を合わせて関西人と知ってから頻繁に交流があり、美月ちゃんとは比嘉とわたしと新垣の関係のように年齢も近いためか直ぐに打ち解けて、誰よりも親しい間柄へと発展した後、今現在は友達という仲で繋がっているのである。

 

「誰にやられたか何となくわかるんですが、彼女を必要以上に構い過ぎない方がいいと思いますよ」

「構い過ぎてるつもりはないんやけど…美月ちゃんからもそう見えてんのかな?」

「大事にしすぎると恵梨香さんは時々周りが見えなくなるんじゃないかなって、あくまでも個人的な見解です」

「あの子に、わたしと出会った時から口うるさい番犬としか思ってないでしょって言っちゃった…それでバシッと強めに一発もらったんよ」

「なるほど…ですが、恵梨香さんが親友の域を越えて大事にされているのに、そんなこと思っていませんて。それともこれからも彼女のナイトでいるおつもりですか?」

 

 天海さんとのことをまだ美月ちゃんには話していないのに、新垣への想いまで伝えたらどういう反応をするのか薄々分かるような気がした。

 

「わからない…一番隣に居たいって気持ちが高まって抑えがきかなくなって…あの子が欲しくて堪らない時がある…」

「恵梨香さん、それだったらあなたのお気持ちを…」

「谷村さん、もうその辺りで立ち話をお終いにしなさい。お昼休憩と引き換えにするという手段もあるけど、どうしようか?」

 

 わたしと美月ちゃんの側まで来て話を遮ったのは、食品経営企画部の鈴木次長だった。

 鈴木次長は感情的に怒ったりはせずに、柔らかな物腰で嗜めてくれるのがありがたかった。

 

「鈴木次長!?外から戻られたんですね…すみません、直ぐに切り上げて戻ります」

「戸田さんも総務部へ戻って通常業務に就きなさい。あと、天海部長にはわたしから連絡しておくから医務室に寄ってお顔を冷やす物を貰った方がいいわね」

 

 美月ちゃんの上司というだけあって、観察眼が鋭くてこの人には隠し事は出来ないと咄嗟に察した。

 

「ありがとうございます、お手数をおかけしますがよろしくお願いします…美月ちゃん付き合わせてごめんね」

 

 鈴木次長と美月ちゃんに一礼したわたしは医務室へと直ぐに向かうことはせずに、エレベーターに乗って人事部まで迎えに行くことにするのだった。