それぞれのハートのカタチ

それぞれのハートのカタチ


初めて出会った時からあなたがわたしの心の隙間に入ったかのように、どうしても離れてくれなくて困る。

離れて欲しいのではなくて、ぽっかりと空いている隙間をきちんと埋めて欲しいのが本心なのだろう。


気になって目で追いかけてじっと見つめても気づいてくれなくてもいい。

自分だけを心配してくれていると分かる優しい声色で名前を呼んでくれるだけでいい。

きっとその細くて長い指を持つ手に頭を撫でてもらえたら、わたしの心音が高鳴って聞こえてしまうだろうから撫でなくてもいい。


初めてあなたに触れた手をじっと見つめて、ため息一つ溢れたら空気に溶けてしまった。

あなたにとってわたしはこの空気のように直ぐに溶けてしまうような存在なのだろうか?

できるなら、あなたの心に溶けてしまいたい…温もりの一つになれたらいいのに…

 


case 矢代


「先輩、よかったら晩御飯ご一緒にいかがですか?」

「んー、外食は極力したくないし、二人分作る食材なんて無いわよ」

「今から買いに行けばいいじゃないすか、自分荷物持ちでも何でもしますから、ねっねっ」

「ちょっとホルス、わかったから腕を引っ張るのはやめてちょうだい」

「ふふっ、よっし。残りのお仕事がんばるぞー!」

「…はぁ、現金な子ね…」


しかし、定時前に急な事件の報告が飛び込んできてしまい、わたしと草加さんが上に召集され外へ捜査へ出ることになり、結局先輩と晩御飯を食べる約束は流れてしまった。


先輩をご飯に誘う日は午後から忙しくなってしまったり、先輩が用事があるからと断わられて、どうにも相性の悪さを感じてしまうけど認めたくない。

休日に家まで押し掛ける勇気もなく、先輩との距離が一向に縮まらなくて自分が情け無くて初めて胸がギュッと痛んだ。

鳴海先輩…あなたのことが好きになってしまいました…一人の女性として。

晩御飯はあんなに簡単に誘えてしまえるのに、わたしは本気の誘いには臆病になってしまうのだ。


「先輩、よかったら…自分と付き合ってくれませんか?」


きっとこれくらい軽めの方が自分らしいのかなって思って、断わられる恐怖心から胸がチクッと刺すような痛みが走った。


「あなた、好きですとも好意の有無も伝えずに付き合ってくれって言うのね…」

「先輩、自分と付き合ってくれるんすか?」

「バカねー、冗談はやめてちょうだい」

「冗談じゃないならいいんですか?」

「そんな軽いナンパでは落ちないの!…ホルス、その汗だくになった顔を洗って出直していらっしゃい」


先輩は呆れた顔でわたしを見ていたが、決して拒絶したわけではないのだろうとその言葉から前向きに読み取って、もう一度きちんとした想いを伝える決心をするのだった。

 


case 木元


学生の頃から誰とも人間関係が上手くいかず、自分だけが悪いのか相手が悪いのかなんて一切わからなくなり、人間に興味がなくなってしまった。


本当は温かく迎い入れてくれる場所が欲しかった。

わたしのことを本気で心配してくれる人達が欲しかった。

頑張って成果を出したら褒めてくれる存在が欲しかった。

わたしを失いたくないと強く願って救いに来てくれた、あなたが欲しいと思ってしまった。


興味がないと思ってたのに、随分と欲張りになってしまったみたいだ。


「木元、その分析がひと段落したら今日はもう帰っていいから」

「はい、ですがボスはまだ作業が残っているんですよね…よかったらお手伝いしますが」

「えー、なになに?急に真面目に仕事するようになっちゃて、ようやく目覚めた感じ?」

「そんなのと違います。ボスの負担が少しでも減ったらいいなぁ…なんて優しいことは思っていませんから」

「はい?わたしの負担を少しでも減らしたいんだったら、早く色んな事を学んで吸収して成長しなさい!あと、自惚れないこと。わかった?」

「…はい、わかりました…ボスは相変わらず厳しいですよね」

「木元に見込みがあるから厳しくしてんでしょうが。興味がない人間に飴と鞭を使うほどこっちは暇じゃないの」

「飴の方が極端に少ないと思うのですが…はい、分析終わりました」

 

いつもは前面から渡すのですが、今日は敢えてボスのデスクの横に立ち、分析を終えた資料を手渡した。

ボスは資料を受け取って直ぐデスクの上に置き、ご苦労様の一言とわたしの腕を掴んでグッと引き寄せると、椅子に座っているボスの膝の上に乗せられて包み込んでくれるのだった。


「…ねぇ木元、わたしの飴がどれくらい欲しいと思った?怒らないからきちんと言って」

ボスの声色じゃなくて、大澤さんの声が耳の奥に届いて思わず心が緩んでしまったわたしは…

「こうやって背中から腕を回して包み込んでくれるだけでも充分な量だと思いますが…わたしにだけもっと甘い飴が欲しいと言ったら欲張りですよね…」

「そうねー、出会った頃のあんたと比べたら''随分''と欲張りになったものだけど…いいわ、こっち向いて瞳を閉じなさい…」


わたしは、これからもきっとあなたにだけ欲張りになってしまいそうな自分に呆れつつ、一番欲しい甘い飴を一口舐めて、唇を塞いで瞳を閉じた。

 


case 新田


どうしてこの人はところ構わず、その緩んだ顔をこちらに向けて来るようになったのか、わたしはよく分からずにいた。


「今日は快晴の空で気持ちいいねぇ、外で飲むコーヒーはさぞかし美味しいでしょ?」

「別に、内も外も味に変わりなんてしませんよ」

「あはは、味に違いは無いのは正論だけどさ。ほら、気持ちの問題?朝から快晴で空気も心地良くて隣に橘先生が居る、これで一段と美味しいと思わない?」

「何をおっしゃるかと思えばそんなこと…橘先生が居るとコーヒーを美味しく出来ると思っているんでしたら、コーヒーショップの店員さんにでも転職してはどうですか?」

「あーそれもいいかもしれないね~新田先生が毎日通って買いに来てくれそうだし」


ニコニコと音が聞こえてくるくらいの笑みがこぼれる橘先生に見入ってしまうと、体温が一気に上昇して、手に持っているホットコーヒーの温度が感じられなくなったのは、ほんの一瞬の出来事だった。


橘先生の脳動脈瘤の摘出をしてからというもの、わたしと橘先生は当直と休日が被らない日の朝は通勤を共にしている。

前より少しだけ早く起きて橘先生の家に寄り、朝食を二人で食べてから共に家を出て病院へ向かう、ただそれだけの関係。それ以上を求めていいのか自分にはよくわからないのである。

橘先生はどうしてそんなに心を許した顔でわたしを見つめてくるの?

解析診断部のみんなには屈託のない顔で溶け込んでいるが、二人でいるとそれ以上に笑顔を見せてくれるからわたしは戸惑ってしまう。

橘先生の喜怒哀楽の表情を全て見てしまったから?

わたしに脳動脈瘤の摘出を託して、命を預けてもいいと思ったから?

それとも、わたしが誰よりあなたを愛しいと思っていることが伝わっている?


「コーヒーの味は変わりませんが、橘志帆さんがお家で淹れてくれるコーヒーは一味違って美味しいと思っています…じゃダメですか…?」

「ふふっ、なんでフルネームなの。ううん、ダメじゃないよ…新田雪野さんが美味しいと思ってくれるなら喜んで毎日淹れてあげてもいいよ」


もう少しだけこの距離でいてもいいかな、なんて思ったのは橘先生を独り占めしていると実感できているからだろうか。

多分わたしはあなたから愛していると伝えて欲しくて、それ以上を求めることに足踏みしているのだ。

その口から伝えてくれることを待っているんですよ、気がついてくださいという念を込めて、あなたと同じように緩んだ笑顔を見せた。

 

 

おしまい。