魔女の鮮血~矢代の激昂~⑧

魔女の鮮血~矢代の激昂~⑧

 


ぼやけた視界の焦点が合うと、目の前に薄暗い廊下の景色が見えて、横を向くと奥に長い階段があった。

こんなに長い階段を上り下りしたら脚が太くなるわ!と誰かに怒鳴っていたような、記憶に靄がかかりつつもぼんやりと浮かんできた。

この階段を上り終えたらどこへ辿り着くのかはわからないのに、わたしは無性にその場で動かずじっとしていることが出来ず、本当は上りたくないという意思に反するように廊下を歩き長い階段を上り始めていた。

 

 

 

せ…ん…ぱい…

 

 

また聞こえた…

 

 

階段を一段一段足を止めずに上るたび、あの声が頭の中で大きくなっていく。

 

 

おね…がい……い…かな…いで……

 

 

もう行くわよ…わたし一人でいいの…痛みも苦しみも…わたしが全部引き受けて持って行くから…

 

 

わたしを……おいて……行っちゃいやだ……

 

 

あぁああ…どうしてこの声を聞くと胸が煩く騒ついて愛しくて堪らなくなるの…?

 

 

ようやく長い階段を上り終えると目の前に扉が見えて、この扉の向こう側へ行けばもう全てが終わるのだろうと察して、ドアノブに手伸ばし開いてその向こうに足を踏み入れようといた瞬間、力強い手がわたしの腕を掴んだ。

自分の腕を掴んだ人物を確認するため振り返ると、視界が再びぼやけてしまい、気が付いたら見覚えのある人物と場所が目に飛び込んきて驚きの声が漏れていた。

 


「わっ!?」

「な、何ですかいきなり驚いて、びっくりするじゃないすか」

「ぁ…えっと……あなた……ホルスなの…?」

「そうですよ、先輩もしかして歩き過ぎて頭がおかしくなってしまったんですか?」

「はい?誰が頭がおかしくなったって言うのよ…バカなこと言わないでちょうだい」

 

 この景色は鮮明に覚えがある。そう、時々彼女と二人で立ち寄ってお茶を飲んで休憩している、行きつけになったドーナツショップだった。

 彼女は来るたびドーナツを二つ注文して、二つ同時に持ち両目に掲げてわたしに向かって「こうやって持つと、メガネ~! どうすか? 今回は二つともチョコレートドーナツなので、先輩のサングラスみたいに見えませんか?」なんて冗談を言ってくるから、馬鹿みたいにおかしくて笑ってしまうのだった。

 

「あっははは、何よそれ。毎回変わり映えしないのに、なんだかおかしくて笑ってしまうわ」

「やったー!今回も先輩を笑わせることに成功したっすよ~!またドーナツ一緒に食べに来てくださいね、約束ですよ」

「はいはい、わかっているわよ。わたしだってここのカプチーノがお気に入りなんだから、約束はきちんと守るわ」

 

 彼女はドーナツをパクッと口に入れて、美味しそうにもぐもぐ頬張りながら食べている。

わたしの目の前のお皿にも一つドーナツが置いてあり、それに手を伸ばして取ろうとするも触れる寸前でこれは食べられないと悟ってテーブルに手を置いた。

一つ食べ終えた彼女の瞳がわたしを不思議そうに見つめている。

 

「先輩…食べられないんすか…?」

「ええ、食べられないのよ…もういいの、何もいらない…」

 

 わたしはわかっていた…ここが現実の世界ではないことと、目の前にいるのが記憶に残っている彼女だということもすべて…

 しかし、そんなわたしの諦めたような態度を見ても、目の前彼女は瞳の光を失うことはなく、テーブルの上に置いている片手に手を伸ばして触れて包み込んできた。

 

「何もいらないなんて悲しいこと言わないでください…自分は先輩が…理沙さんがいてくれないとダメなんですから」

「あなただっていつも無茶ばかりして、わたしの心を置いてけぼりにするじゃない…だからわたしはもう何も失いたくないの…」

「無茶ばかりして、理沙さんの心を置いてけぼりにしてごめんなさい…でも、わたしだってあなたを失いたくないんですよ…」

 

 彼女は体を震わせながら、大きな瞳に大粒の涙を溜めていて、今にも決壊して流れ出しそうだった。

 

 

…続く。